ChatGPT vs 日本文学! ChatGPTのリライト性能を検証してみた!

ChatGPT vs 日本文学! 校正

目次

校正者が挑むChatGPTリライトの実力

生成AIが次々と登場し、その活用方法が日々新しい切り口で模索されている今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 

私たち校正者は、業務の中で文章をリライトすることもありますが、今回はそのリライトの視点からChatGPTの性能を検証してみることにしました。

 

「ChatGPTが有名な文学作品をリライトするとどうなるのか?」というテーマで、日本文学の名作の現代風リライトに挑戦してもらいました。

 

ChatGPTが有名な文学作品をリライトするとどうなるのか?

 

その結果、単なる文体のアップデートにとどまらず、新たな可能性を感じさせる内容となりました。

生成AIが伝統的な文学にどんな手を加え、私たちにどんな新しい楽しみ方を提案してくれるのか、その可能性と課題に迫っていきます。

ChatGPTが挑戦する日本文学とは?

ChatGPTは、大量のテキストデータを学習した高度な自然言語処理モデルであり、文章の生成やリライトにおいて人間と同等の能力を発揮します。

 

今回は、日本文学を代表する2つの名作『羅生門』と『坊っちゃん』の冒頭部分に焦点を当て、ChatGPTがどのようにこれらの作品を現代風にリライトするのかを見ていきます。

 

プロンプトは

「羅生門」の冒頭の以下の文章を現代風にリライトしてください。

とし、リライトしたいテキストを入力しました。

『羅生門』VS ChatGPT

『羅生門』とは?

芥川龍之介の『羅生門』は、1915年に発表された短編小説で、平安時代末期の荒廃した京都を舞台に、人間の本性や道徳について問いかけるテーマを描いています。

その独特の文体と緻密な描写が、現在でも多くの読者に影響を与え続けています。

羅生門

 

『羅生門』をChatGPTがリライトすると?

元の文

ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

 

ChatGPTによるリライト後の文

ある日の夕暮れ、一人の下人が羅生門の下で雨宿りをしていた。広い門の下には、この男のほかには誰もいなかった。ただ、ところどころ赤い塗装が剥げた、大きな柱にキリギリスが一匹とまっているだけだった。羅生門が朱雀大路にある以上、この男以外にも、雨宿りをしている市女笠や揉烏帽子の人が二、三人はいるだろう。しかし、この男のほかには誰もいなかった。

リライト結果

表現の現代化

ChatGPTによる『羅生門』のリライトでは、表現の現代化が際立っています。

元の文で使用されていた「暮方」や「丹塗の剥げた」といった表現は、現代の読者にとって少し古風に感じられる可能性があります。

これを「夕暮れ」や「赤い塗装」といった現代的な言葉に置き換えることで、文章がよりわかりやすく、親しみやすくなっています。

このような変更によって、古典文学へのアクセスのハードルが下がり、より多くの読者が興味を持ちやすくなっています。

 

読みやすさの向上

さらに、ChatGPTのリライトは文章の流れを滑らかにし、読みやすさを向上させる効果があります。

例えば、「雨やみを待っていた」という表現を「雨宿りをしていた」に変更することで、文がより直感的に理解しやすくなっています。

このような小さな変更でも、読者にとっての理解が深まり、作品の世界に没入しやすくなる効果が期待されます。

また、「蟋蟀」を「キリギリス」に変えることで、視覚的な読みやすさも向上しています。

 

オリジナリティの維持

ChatGPTは、表現を現代化する一方で、作品の持つ独特の雰囲気やオリジナリティを失わないようにしています。

たとえば、「広い門の下には、この男のほかに誰もいない」という元の文の緊張感や孤独感は、リライト後もそのまま維持されています。

これにより、作品の雰囲気が損なわれることなく、読者が感じる感動や恐怖といった感情も保持されています。

 

日本文学に対するAIの理解度

ChatGPTは日本文学に対する深い理解を示しており、平安時代の京都という背景や、人間の本性に迫るテーマを尊重しながらリライトを行っています。

AIは膨大なデータを学習し、その背景知識をもとに文章を修正することで、作品全体の意味や意図を損なうことなく、現代的な感覚に合わせたリライトを実現しています。

この点は、ChatGPTの能力が単なる言葉の修正に留まらず、文化的な文脈を理解しつつリライトを行えることを示しており、AIの新しい可能性を感じさせます。

『坊っちゃん』VS ChatGPT

『坊っちゃん』とは?

夏目漱石の『坊っちゃん』は、無鉄砲で正義感が強い主人公「坊っちゃん」が松山の中学校に赴任し、さまざまな騒動を巻き起こす様子を描いています。

その痛快な物語とユーモアが、時代を超えて読者を魅了し続けています。

坊っちゃん

 

『坊っちゃん』をChatGPTがリライトすると?

元の文

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

 

ChatGPTによるリライト後の文

親譲りの無鉄砲さで、小さい頃から損ばかりしている。小学校にいる時分、学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。なぜそんな無茶をしたのかと聞く人がいるかもしれない。特に深い理由はない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談で「いくら威張っても、そこから飛び降りることはできまい。弱虫やーい」と囃したからだ。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな目をして「二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるか」と言ったから、「この次は抜かさずに飛んでみせます」と答えた。

リライト結果

表現の現代化

『坊っちゃん』に対するChatGPTのリライトでも、表現の現代化が図られています。

元の文では「無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」という表現が、「無鉄砲さで、小さい頃から損ばかりしている」と変更されています。

この変更により、現代の読者がより自然に受け入れられる文章になっています。

また、「居る」を「いる」に改め、さらに「無闇」を「無茶」に変更することで、より口語的で親しみやすい表現になっています。

 

読みやすさの向上

ChatGPTはまた、文章の読みやすさを大幅に向上させています。

例えば、「小供の時から損ばかりしている」という表現を「小さい頃から損ばかりしている」に変更することで、文がより平易で理解しやすくなっています。

また、同級生の台詞部分を、「~弱虫やーい」と囃したからだ」とすることで、台詞と地の文が明確に区別され、読み手にとっての理解が深まります。

このように、文の構造を調整することで、読者がストーリーにより没入できるようになっています。

 

オリジナリティの維持

『坊っちゃん』の持つユーモアや独特のリズムは、ChatGPTによるリライト後もそのまま維持されています。

特に、主人公の無鉄砲さや父親とのやり取りに見られる軽妙なやり取りは、リライトによっても失われることなく、むしろその特性が引き立てられています。

例えば、「この次は抜かさずに飛んで見せます」という返答は、リライト後もそのまま残されており、主人公の強い意志が強調されています。

これにより、物語の持つエネルギーやテンポが維持され、読者にとっての魅力が損なわれることはありません。

 

日本文学に対するAIの理解度

ChatGPTは、日本文学特有のリズムやニュアンスをしっかりと捉えており、これを維持しつつ現代化を図っています。

『坊っちゃん』のような作品においては、主人公の個性や語り口が非常に重要であり、これを損なうことなく、かつ読みやすくするためのリライトが行われています。

AIが文学作品の文脈を理解し、それを尊重しながらリライトを行うことができるという点は、非常に重要な成果といえます。

ChatGPTリライトのまとめ

今回の実験を通じて、ChatGPTが芥川龍之介の『羅生門』と夏目漱石の『坊っちゃん』をリライトする過程で、表現の現代化や読みやすさの向上に効果的であることが確認できました。

一方で、オリジナリティを維持しつつ、現代の読者に親しみやすい文章に仕上げるという難しい課題にも対応できていることがわかりました。

 

AIによる文章リライトは、文学作品の新たな可能性を開くと同時に、その限界も浮き彫りにします。

しかし、これまで手に取らなかった読者層に作品を届けるための手段として、AIの力を借りることは非常に有益です。

 

今後もAIは進化を続け、より高度なリライト能力を持つツールが登場することが期待されます。これにより、文学作品の再発見や新しい読者層の開拓が進むでしょう。

AIと人間のクリエイティビティがどのように共存し、補完し合うのか、その可能性は無限大です。

おまけ -ChatGPTと人気作家がコラボ!日本文学をリライトしてみた-

おまけとして、ChatGPTを使って『羅生門』と『坊っちゃん』を、現在日本を代表する3人の作家風にリライトしてみました。

 

その3人とは

伊坂幸太郎

村上春樹

池井戸潤

です。

 

この人気作家をChatGPTに降臨させ、日本文学をリライトしてみました。

 

プロンプトは

「羅生門」の冒頭の以下の文章を伊坂幸太郎風にリライトしてください。

とし、リライトしたいテキストを入力しました。

 

それぞれの作家の特徴を反映した文章をお楽しみください。

 

伊坂幸太郎風

伊坂幸太郎は、日本のミステリー作家として知られ、巧妙なストーリー展開とユーモアあふれる会話が特徴です。『アヒルと鴨のコインロッカー』や『ゴールデンスランバー』など、意外性と感動を兼ね備えた作品で多くの読者を魅了しています。彼の作品は、日常の中に潜む異常や偶然を巧みに描き、独特の世界観で高く評価されています。

伊坂幸太郎

『羅生門』

夕暮れ、朱雀大路を見下ろす羅生門。その下で、ひとりの下人が肩をすくめて雨宿りをしている。雨はまるで神様が気まぐれにシャワーをひねったように降り続いていた。門の下には、この下人しかいない。いや、正確には、ところどころ塗装が剥げた大きな柱に蟋蟀が一匹、とまっている。あたりの静寂は、サスペンス映画のワンシーンのように不気味で、それがかえって下人の心を落ち着かせていた。

 

解説

伊坂幸太郎の文体は、軽妙でウィットに富んだ表現が特徴です。

このリライトでは、雨を「神様がシャワーをひねったように」と表現し、独特のユーモアを加えました。

また、静寂を「サスペンス映画のワンシーン」と例えることで、読者に映像的なイメージを喚起させると同時に、現実感と非現実感が交錯する雰囲気を強調しています。

 

『坊っちゃん』

親譲りの無鉄砲さで、小さい頃からトラブルメーカーだった僕は、小学校時代にやらかしてしまった。学校の二階から飛び降りるなんて、今思えば無茶だ。でも、そのときの僕は、そんなこと考えもしなかった。同級生が囃し立てる声がまるで悪戯な天使のささやきのように聞こえたからだ。腰を抜かしたまま家に帰ると、父親は呆れた顔をしていた。でも、僕は負けずに「次はもっと高く飛ぶさ」と、にやりと笑ってみせた。

 

解説

伊坂幸太郎風のリライトでは、軽妙な語り口と少し皮肉なユーモアが特徴です。

「トラブルメーカー」や「悪戯な天使のささやき」といった表現が、主人公の無鉄砲さをポジティブに捉えつつも、その行動がどこか危ういものであることを示唆しています。

また、父親とのやり取りに少しの皮肉を交え、軽快なテンポで物語が進んでいくスタイルを反映しました。

 

村上春樹風

村上春樹は、幻想的な世界観と独特の文体で世界中の読者を魅了する日本の作家です。『ノルウェイの森』や『海辺のカフカ』など、現実と非現実が交錯する物語を通じて、孤独や愛、喪失を描き出しています。彼の作品は、軽妙な語り口と豊かな比喩表現が特徴で、国際的にも高く評価されています。

村上春樹

『羅生門』

夕方だった。薄暗い空の下、ひとりの下人が羅生門の下に立ち尽くしていた。雨はしとしとと降り続き、門の下には彼以外に誰もいなかった。大きな柱にとまっている一匹の蟋蟀だけが、この静寂を切り裂くように鳴いている。まるで、時間が止まったかのような感覚だった。彼は、この門が語りかけてくるかのように感じたが、もちろん門は何も言わなかった。

 

解説

村上春樹のスタイルは、静かな描写と内省的なモノローグが特徴です。

このリライトでは、静寂や孤独感を強調し、時間が止まったような非現実的な感覚を描写しました。

また、門が「語りかけてくるかのように感じたが、もちろん門は何も言わなかった」という一文で、現実と幻想の境界が曖昧になる村上春樹独特の雰囲気を表現しています。

 

『坊っちゃん』

僕は親譲りの無鉄砲さを抱えて生きてきた。小さい頃から、無茶をすることでしか自分を表現できなかった。小学校の二階から飛び降りたのも、そういう理由だった。同級生の声がまるで遠い国から届いた風のように聞こえ、その声に導かれるように、僕は飛び降りた。腰を抜かして横たわる僕を見て、父親はただ「バカなことをしたものだ」と言った。でも僕は、そのバカなことに、どこか満足していた。

 

解説

村上春樹風のリライトでは、主人公の内面に深く入り込み、行動の背景にある心理的な動機を探ります。

「無茶をすることでしか自分を表現できなかった」というフレーズが、主人公の孤独感や自己認識の複雑さを示しています。また、「遠い国から届いた風のように」という比喩を使い、現実感と非現実感が交差する独特の雰囲気を生み出しました。

 

池井戸潤風

池井戸潤は、企業小説や経済小説の名手で、『半沢直樹』シリーズや『下町ロケット』などの代表作で知られています。彼の作品は、企業内の権力闘争や経済の現場をリアルに描き、逆境に立ち向かう主人公とスリリングな展開で、多くの読者を魅了しています。

池井戸潤

 

『羅生門』

夕暮れ時、朱雀大路を見下ろす羅生門の下には、ただ一人の下人が立っていた。雨はしつこく降り続け、門の下には彼のほか誰もいない。ところどころ剥げた赤い塗装の大きな柱に蟋蟀が一匹、しっかりととまっている。彼の心には、何かしらの決断が求められているという焦燥感があったが、それを口にすることはなかった。決断は、いつだって冷静さを必要とするものだからだ。

 

解説

池井戸潤の文体は、緊張感と決断を迫られる瞬間を描くのが得意です。

このリライトでは、「何かしらの決断が求められている」というフレーズを用いて、下人の心の中で葛藤が進行していることを示しています。

また、具体的な行動よりも心理的なプレッシャーに焦点を当てることで、ビジネスシーンでの駆け引きや葛藤を連想させる描写に仕上げました。

 

『坊っちゃん』

親譲りの無鉄砲さで、小さい頃から数々のトラブルを乗り越えてきた僕。あの時もそうだ、小学校の二階から飛び降りたとき、周りの連中がざわめき始めたのを覚えている。どうやら僕は一週間ほど腰を抜かしてしまったらしいが、それでもやり遂げたという達成感があった。同級生が囃したてる声に反応した僕の無鉄砲さは、父親の厳しい目線を受けながらも決して揺らぐことはなかった。「次はもっと高く飛んでみせます」と言った僕の決意は、揺るぎないものだった。

 

解説

池井戸潤風のリライトでは、主人公の行動を「やり遂げた」という達成感を強調し、逆境を乗り越える姿勢を描きました。

また、「決意は揺るぎないものだった」といったフレーズで、主人公の強い意志を示し、物語全体に力強さを与えています。

このように、ビジネスや逆境での成功に向けた固い意志を強調することで、池井戸潤のスタイルを反映させました。

 

 

 

ChatGPTは、文体を自在に操り、同じ物語をまるで別物に生まれ変わらせる力を持っています。

作家ごとの個性を取り入れたリライトで、文学に新たな風を吹き込みます。

 

もっといろんな文学作品を、さまざまなジャンルの作家風にリライトしてみたいですね。

 

あなたは、誰のどの作品が読みたいですか?